<舌>
気が付くと朱鷺は、柱を背にして床に座らされていた。
両手は柱を後手に抱えるように麻縄できつく縛られ、伸ばされた両足は床の足枷で足首を固定されていた。
そこに、一升枡と手桶を抱えた燕が現れた。
燕は朱鷺の足の先に腰を下ろすと、奇妙なことを始めた。
桶の水で両手を濡らしながら、枡に盛られた白色のものを朱鷺の足に塗り始めたのだ。
踵から、土踏まず、そして指の先まで、燕は丹念に塗りたくる。
朱鷺は痒いような擽ったいような妙な感覚に苛まれながら、燕の企みに思いを巡らした。
見た目と足の感覚から、白色のものはどうやら塩らしい。
しかし、塩を足に塗って燕はどうするというのだろう。
塩を強烈な勢いで塗りこむことで、皮膚を摩擦して苦痛を与えるのなら納得できる。
しかし、燕の行為はそのような意図を感じさせない。
燕はというと、充分な時間をかけて両足に塩を塗り終わると一旦土蔵を出た。
しばらくして戻った燕は、朱鷺が見たこともない獣を二匹連れていた。
「さあお前たち、しっかり働くんだよ。」
と、二匹の獣の首輪を外すと朱鷺にけしかけた。
朱鷺は、不安になった。
一体どういう動物なのだろう。
見た目に恐ろしさはなく、特に牙が発達しているわけでも無さそうだ。
大きな声で咆えることもしない。
しかし、燕が連れてきたということは自分を苛むために違いない筈だ。
二匹は、朱鷺の足先に落ちている塩の粒を舐め始めた。
「この獣はね、山羊というんだ。見てのとおり塩が大好物なんだ。わざわざ隠れ切支丹の部落から連れて来たんだよ。」
山羊たちは、延々と床を舐め続けている。
ここでようやく朱鷺は、燕の企図を理解した。
山羊に足の裏を舐めさせようというのだ。
いつまで経っても自分の思い通りにならない山羊に業を煮やした燕は、一匹の頭を捕まえると朱鷺の足に誘導した。
誘導された山羊が、朱鷺の左踵を舐め始める。
それを見ていたもう一匹も、朱鷺の足裏に舌を這わせる。
踵を舐められている間は朱鷺もなんとか我慢していたが、舌が土踏まずに達すると擽感に耐え切れず喉の奥を震わせ始めた。
「っくっくっく。」
朱鷺の息遣いが、一段と荒くなる。
「どうだい。痛いのは我慢できても、擽ったいのはどうしようもないだろ。」
燕が、朱鷺を言葉で追い詰める。
「ふん、何のこれしき。」
朱鷺は、言葉とは裏腹に苦痛よりも耐え難い辛さに喘いでいた。
二匹の山羊の舌が、土踏まずから指先に移動するころになると、さすがの朱鷺も笑い声を上げるようになった。
「あっはは、はっはっはー。」
一度声を上げ始めると、後戻りはできなかった。
「このままずっと続けてもいいけど、あんた気がふれちまうよ。」
燕が、朱鷺を精神的に追い込む。
山羊はいつまでも朱鷺の足から離れない。
「お止めなさい。」
朱鷺が、山羊たちを一喝した。
言葉を理解するはずのない山羊であるにも拘わらず、ビクンとして足を舐めるのを止め佇んでいた。
朱鷺の気迫が、山羊の行動を停止させたのだ。
「おやおや、この子達怯えているじゃないか。さあ、続けなさい。」
燕が、再度山羊の口を朱鷺の足先に近づける。
しかし、一度怖気づいた山羊は朱鷺の眼差しに射すくめられ、燕の言うことを聞こうとしない。
「しようがないね。あんたがそんな怖い目をしてるから、せっかくの好物にあり付けないじゃないか。」
二本の手拭を取り出すと、燕は朱鷺の背後に回りまず一本で目隠しを施した。
もう一本はきつく捻上げられ、無理矢理開けさせられた朱鷺の上下の歯の間に噛まされ後頭部で固く結ばれた。
朱鷺の両頬が強く引き絞られ、頬の内側が歯に擦れる苦痛が朱鷺を苦しめた。
眼差しが遮られたことで、山羊たちは再び朱鷺の足を舐め始めた。
朱鷺は声を上げようにも、猿轡のせいで鼻を鳴らすのがやっとだった。
「早いとこ吐いちまいな。この後はもっと辛いよ。」
燕が、朱鷺に更なる責め苦の予告を行う。
しかし、首を横に振ることで朱鷺は抵抗の意思を示した。
山羊たちの舌は止まることを知らない。
もう塩分など少しも残っていないはずの朱鷺の足を、舐め続ける。
踵から爪先まで、繰り返し繰り返し二匹が左右の足裏で舌を動かし続けていた。
しばらくすると、擽感に苦しめられていた朱鷺の足裏に異変が起こった。
足裏の皮膚が、山羊の舌に擦られて剥れ始めたのである。
山羊の舌は、思ったより凹凸が激しいのである。
そして皮膚が破れることで出血が始まり、その血液の塩分が山羊の舌の動きを加速させたのである。
朱鷺は、今度は足の裏を焼かれるような痛みに悩まされることになった。
「ほら、さっき言ったろ、もっと辛くなるよって。この子達は止めさせない限り、骨までしゃぶりつくすよ。」
燕が、朱鷺に恐ろしい宣告を与える。
朱鷺は自分の足裏が骨だけにされる姿を想像したが、その恐怖を打ち消すべく強く首を振った。
視線と声を封じられている朱鷺に許された唯一の示威行為だった。
山羊は、鳴き声ひとつ発さずに正に黙々と朱鷺の足を削いでいく。
朱鷺は、猿轡の下で悲痛な叫びを上げ続けていた。
しかし聞こえてくるのは、くぐもった鼻声だけだった。
燕は朱鷺の足裏の皮膚の殆どが剥かれたことを確認すると、山羊に首輪を付け朱鷺の足から引き離した。
「これくらいが丁度良いだろう。」
朱鷺の目隠しと猿轡を外すと、小田に命じた。
「阿剌吉酒を桶に入れて、持って参れ。」
小田は、訳も分からず命令に従う。
「少しは堪えたかい。もう一回聞くよ。お殿様の一行に潜り込んだ仲間は誰なんだ。」
燕が、憔悴した表情の朱鷺に訊く。
「裏切り者の貴女になど、話すことは何もありません。」
朱鷺は、強い口調で言い返した。
「そう。それじゃ話したくなるようにしてあげるよ。」
燕は小田に持ってこさせた桶を朱鷺の足元に置くと、床に釘止めされていた足枷の釘を引き抜いた。
そして朱鷺の膝を無理に曲げさせ、足先を桶に漬けた。
「ぎああーー!」
朱鷺は、足裏に滲みる阿剌吉酒の激痛に叫びを堪えきれなかった。
阿剌吉酒というのは蒸留されており、この時代の医術でも使われている純度の高い酒だった。
「ははは、毒消しじゃ。」
燕は責め問いを、楽しんでいるようだった。
朱鷺への嫉妬がそうさせたのかも知れない。
桶の阿剌吉酒が、朱鷺の血で濁るまで何度も何度も燕は朱鷺の足先を上下させるのだった。
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